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チェコ出国

8月3日におよそ2ヶ月間暮らしたアパートを出た。出発の日の前日まで大掃除をしていたのだが、結局3日の朝にお父さんが迎えに来てくれる時間までいそいそと大掃除をしていた。感傷に浸る暇もなく、14:00にお父さんが車で迎えに来てくれて、そのままチェスキークロモロフにむかった。

チェスキークロモロフで2日間ゆったりとした時間を過ごすことができた。この2ヶ月間、チェコでこんなに楽しい日々を送れたのは、この家族のおかげで、言葉に表すことができないほど感謝をしている。

8月5日の朝、チェスキー・ブディオビテェまでお母さんが車で送ってくれた。お父さんとは昨日の夜にお別れした。駅でお母さんともお別れ。たくさん伝えたいことがあるのに、言葉がでてこない。

こんなにも伝えたいことがあるのに、涙を流すことしかできなかった。言葉が通じなくても、この家族の優しさを感じることはできた。自分の感謝の気持ちは伝わったのだろうか。


お母さんが作ってくれた美味しい料理の数々です。本当にありがとう。
thanks
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語学学校終了

昨日で語学学校が無事に全日程終了。合計4週間学校へ通った訳だが、英語が上達しているかといえばはなはな疑問が残る。まあ語学なんてものはそんな短期間ですぐに上達しないことはわかっていたのでよしとしている。

それでも、ヒアリングは少しはましになったのだろう。新しいクラスになり、訳がわからん状態も2・3日で慣れ、聞き取れるようになっていった。まあまた機会があればこのように勉強したいなあなんて考えている。ちなみに計画としては次は南米でスペイン語かな。

クラスは先生も含めて5人のチェコ人女性と日本人の自分だけ、なので何かと引き合いに出されて話す機会も多くなり良い経験となった。例えば、何かにつけて日本ではどうなのか説明してとか、男の意見を聞かせて欲しいわとか、昨日も飲んだのとか、また二日酔いなのとか、酒臭いとか。あぅこれはまた違う問題か。

色々なトピックで議論をし、日本はこうだし、自分はこうなんだということを繰り返し考えたり、口に出すことによって、「あぁ本当に自分は日本人なんだな」って思うようになっていった。

どんな些細なことでも質問されたことに対して、自分なりの言葉で、きっぱりと意見を言う。自分はこうだし、君はこうなんだということを繰り返すことにより、自分が日本人であるという存在の位置づけ、要するにアイデンティティーを再認識したということが大きいのだろう。

まあよくわからんが、楽しい経験ができたのは間違いない。だが、そろそろこの生活ともおさらばだ。出会いと別れを繰り返すことに少し感傷的になっているのだろうか、いや感傷的になっている暇などない。とにかく前に進まねば。先はまだまだ長い。

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ペルー独立記念日

いつだったかは忘れたが、かなり前に家に届いた一通の手紙。文面にはこの家の持ち主の二女の名前が書かれてあったので前にチェスキークロモロフに行った時にお母さんに持って行っていた。ずっとそのことについては忘れていたが、ついこの間、お母さんにオーストラリアにいる二女から私あてのメールが届き、それをお母さんが転送してくれた。

メールの内容としては、何も気兼ねすることなく自由に部屋を使ってくれということと、手紙のことだった。その手紙は二女あてに届いた招待状。どこからの招待状かというと在プラハ、ペルー領事館。ペルーの独立記念を祝うパーティーが領事館主催で催されるということだ。

もしよかったらそのパーティーにいくことができるので、いったらどうかということが書かれていた。二女は詳しいことはわからないがプラハの大学教授だったらしくその辺に顔がきくらしい。だが、いともあっさりと大学教授の職を投げ捨て、去年オーストラリアに行ってしまっている。しかも今は勉強しながら木こりをしているというからあっぱれな人柄がうかがえる。いつかお会いしたいものである。

もちろん、私が旅行者であることも承知しているので、スーツなんて着てかなくていいのよ、ジーンズで充分なんだから、おいしい酒を飲んでらっしゃい、私もいつもジーンズだったから領事によろしく伝えてね。と手紙はしめられていた。自分の汚い服装を鑑みて、少し悩んだが、これも良い経験だと思い一人で行くことにした。決してただ酒とただ飯に釣られたわけではない。

そして、着いたところはプラハ城近くの教会らしき所、完全に場違いな雰囲気にいささかたじろいだが 、ここまで来て後には引けない、旅の恥は書き捨てというし、MISSIONをCOMPLETEしないと帰れない。決してただ酒とただ飯を食うのがMISSIONではない。領事によろしく伝えなければならない。という重大な使命を抱えていた。

レセプションを難なく通過し建物内に入ると既にパーティーは始まっていた。ほとんどの人が正装していたが、中にはラフな人もいたので一安心。部屋に入って領事でも探すかと思っていたのもつかの間入り口で話した人が領事だと聞かされあわてて戻って挨拶。

MISSIONも難なくこなし後は本題の飯と酒かと思い、辺りを物色。白ワインを飲んだが、かなりいける。がぶがぶと立て続けに4杯のグラスワインを飲み干した。立食なので、食べ物はウエイトレスさんが皿を持ってみんなにサーブしていた。さっそく試食。うーん、う、うまい。だけど、ほかの人はあまり食が進んでいないようだ。

自分にとってはけっこう高級な食いものなんだが、ハイソな人たちの口には合わないようだ。その後もがぶがぶ 飲んでがぶがぶ食い続けていた。その食いっぷりにウエイトレスたちがおもしろがり、がんがん自分の所に持ってきてくれた。そのおかげで腹もふくれ、ワインもかなり飲んだので、そろそろおいとましようかと思っていた。

そうすると、話をしていたイラン人の彫刻家の知り合いの、いかつい黒人が流暢な日本語で話しかけてきた。話を聞くと生粋の新潟生まれの日本人のようだ。その姿とその流暢な日本語のギャップにかなり笑ってしまった。ひとしきり会話をしてから、いい居酒屋知っているから今度飲みに行こうね。と約束しその場を後にした。

embassy
写真上 建物内の様子
写真中央 パーティーの様子
写真下 ただし君





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孤城落日

今週の月曜日から、語学学校のクラスのレベルを上げたので新しいクラスとなった。新しいクラスには自分も含めて5人の生徒がいた。4人ともがチェコ人女性。新しいクラスでは主に会話のスキルや語彙を増やすことに焦点を当てるということ。

初日、先週までの2週間で多少なりとも自分の英語力が良くなってきているのかななんて思っていたのが見事に木っ端微塵となった。先週までは文法に焦点を当てていたクラスだったので、ある程度復習のような感じで楽しく勉強できていた。

だが、新しいクラスでの初授業で完全に打ちのめされてしまった。授業が始まって10分でひたすらブレイクタイムを待ち望んでいた。クラスメートは16歳、18歳、21歳のイケイケのルーキーズ達。もう1人は40台後半のベテラン選手。

初日の授業が終わった後はぐったりして帰ってきた。レベルを下げようかと思ったが、ルーキーズ達に負けるわけにはいかないと思い直し踏みとどまった。そんな始まりだったが、人間どんな環境にも適応していくもので、5日が経過した今日の授業では楽しく授業を受けることができるようになっている。

語学学校も残すところ来週のみ、初めは4週間と考えると結構長丁場だなと感じていたが、ここまであっという間に来てしまった。語学学校が終わるといよいよ旅の再開。ここに滞在中は旅をしているという感覚はなく、むしろ暮らしているという感覚の方が強かった。

何一つ不自由ない楽園暮らしもそろそろ終焉に近づいている。旅を再開するとまた何かと不自由な思いをすることになる。例えば荷物が重いとか、宿を探さなきゃいけんとか、シーツが汚いとか、ドミの隣の男の歯ぎしりがうるさいとか、トイレが汚いとか、埃っぽいとか、レセプションの女がむかつくとか、などなど。

でも、ふと持参した世界地図帳を開き、次のルートを考え始め、次はここに行こうかな、いや待てよここも行きたいし、あそこもいかなきゃならん、なんてことを考えていると、あっとう間に時間が経っていて、いいようもない興奮が湧いてくる。そろそろ荷造りを始めなくては。

とりあえず次は南へ行こうかな。
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悲しい男2人の週末の過ごし方

1989年ビロード革命後、チェコスロヴァキアは共産圏からの離脱に成功。簡単に言うとロシアの支配から抜け出した。僕が11歳の頃である。資本主義、共産主義、革命、などなど教科書ではお馴染みで、無論知っているつもりでいた。

でもはるか彼方の出来事で、実感を伴った知識として認識することは今まで一度もなかった。せいぜい映画の中くらいで感じるだけだろうか。僕らはたくさんの知識を得ている。が果たしてそれは本当に知っていることなのだろうか。


先週末は学校のクラスメート、トマーシュと一緒に彼のweek end houseへ行ってきた。悲しい男2人の週末の過ごし方である。Week end house と聞いて僕は直ぐにピンとこなかった。少し考えてからあっ別荘のことかと思った。そして彼に君は何てリッチピーポーなんだ、別荘を持っているなんてと質問した。

そうなんだ。僕はチェコでも有数の貴族の御曹司でね。というギャグを無視されたからであろうか、彼は次のようなことを話し始めた。彼が10歳の頃までここは共産主義だった。国外に旅行に行くことは絶対にできない。行けるとしたら旧東側諸国だけ、それもかなり難しい。

学校では母国語の他にロシア語を覚えさせられて、極まれに銃の扱いも習ったという。物資は乏しく、車を買おうと思うと選択の余地はなく1種類だけ、それも届くのは何ヶ月も後だという。バナナをたくさん食べるのが小さい頃の夢だったらしい。

そんな中で人々に与えられた娯楽といえば自然の中に別荘を持ち、週末にそこで家族と過ごすことが唯一の娯楽だったという。そういう理由で、今現在もかなりのチェコの人々は自宅の他に週末を過ごす別荘を持っているということだ。

若干シリアスな雰囲気の今回の記事だが、旅行自体はすこぶる楽しかった。まず土曜日はカヌー。たっぷり半日かけてカヌーを漕いだおかげで今日は上半身がとんでもない筋肉痛で学校をうっかり休むところだった。

そして次の日は釣りと、大自然をあますとこなく満喫した。釣果はどうなのかという質問もあるだろうがそれは聞かないで欲しい。いずれにしても充実した週末だったが、トマーシュに言いたい。いく前に料理はすべて俺にまかせろ。お前はゲストだからな、うまい料理を食わせてやるぜといいながら6食すべてソーセージだけっていうのはやめて欲しかった。No more ソーセージ。
cholin



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